こんにちは。湘南チアダンスクラブ代表の、けいすけパパです。
私は、今3児(小3・年長・年少)のパパでもあります。
妻も働いていいるため、他のパパよりも比較的、子育てには関わっている方だと思います。
今日は、子育てをしている中で感じた、子どもへの声かけについて(自分への戒めの意味も込めて)書きたいと思います。
▼ 目次
「自信をもて!」と言われても・・・
私は、運動会や発表会など、子どもたちが何かにチャレンジするとき、何気なく「自信をもって!」と励ましていました。
でも、子どもにとっては、ちょっと乱暴な声かけだったんじゃないかと思うようになりました。
自分自身のことを振り返ってみたとき、例えば、大事な試合の前、テストの日の朝、親に「自信をもって!」と励まされても、正直なところピンとこなかったし、不安や心配を払拭できたことはありませんでした。
むしろ「負けたって、命をとられるわけじゃないんだから、いつも通りやってこい」と言われたときの方が、肩の力も抜け、気がラクになった気がします。
この違いってなんなのでしょう?
常套句のように「自信をもって」と励ましがちだけど、私が感じた違和感ってなんだったんでしょう?
「自信をもて」は自分でつくり出すもの
とりあえず、私が辿り着いた結論は、
「自信」は他人から「もて」と言われて、もてるようなもんじゃない。
ということ。
自信は、たくさんの失敗を重ね、それを乗り越えて得た成功体験の積み重ねから作られるんじゃないかと思います。
だとすると、そういう体験の積み重ねを共有してこなかった他人に「自信をもて」と言われても、「???」ってなってしまいます。
「自信」は、自分の内面から滲み出てくるようなもので、自分で作り出すしかないんだと思います。
「負けてもいい」は失敗を受けいれてくれること
一方、「負けたって、命をとられるわけじゃないんだから、いつも通りやってこい」はどうかというと、これは「失敗してもいいんだぞ!」と同義です。
失敗が許される、失敗しても受けいてくれる、そういう声かけです。
私自身、器用貧乏なところがあり、幼少期の頃から、運動も勉強も良くできる方でした。
運動会ではいつもリレーを走っていたし、テストで苦労した記憶もありません。
当然、両親もそんな我が子を見て喜んでくれるので、次第に「リレーの選手になれなかったらどうしよう」「テストで失敗したらどうしよう」と、両親の期待に応えること・両親を喜ばせることが自分の使命だと感じるようになってしまった気がします。
もちろん、両親がそんな素振りは一切見せたことはありませんし、実際にテストで失敗しても、怒りもしなければ責めることもしていません。
でも、私は「申し訳ない」気持ちになっちゃったんです。
だから、「負けてもいい」「失敗してもいい」という声かけは、私を解放してくれる大きな意味を持っていました。
「失敗するわけにはいかない」というプレッシャーから解放され、思う存分チャレンジできたんだと思います。
親として子どもたちとどう接するか?
今の時代、なかなか失敗が許されません。
失敗すると、笑われたり、怒られたりして、それがトラウマになったりすることもあります。
私自身もそうだったように、自分で勝手に失敗が許されない環境に陥ってしまっている子もいるかもしれません。
そうならないために、子どもたちとどのように関わるのがいいのか?
大人として、親として、子どもたちにどんな働きかけをしてあげることができるのか?
おそらく正解はないし、それぞれの価値観があるから、いろんな意見があるとは思いますが、
自分の実体験も踏まえて、今考えられることを2つ書きたいと思います。
1.失敗が当たり前の環境をつくる
1つ目は、
子どもたちが、いくらでも失敗できる・失敗することが当たり前の環境を提供してあげること
だと思います。
実は、子どもたちには、そういう環境が生まれながらに用意されています。
そう、家庭です。
でも、最初は立てるようになっただけで大喜びしてくれた両親は、いつの間にかできるようになったことよりも、できないことに注目しはじめ、それを短所だと感じてしまうこともあります。
少しでも早くできるように・他の子よりも上手にできるようにと、子どもへの接し方がどんどんエスカレートし、自由に遊ぶ時間さえ許されない子もいます。
子どもに自分の夢を託し、そのために子どもをコントロールしようとする親が、子どもを虐待するニュース記事もありました。
子どもにとって一番安心できる居場所であるはずの家庭が、いつの間にか、失敗が許されない窮屈で緊張感のある場所になってしまったのかもしれません。
・・・と他人事のように、書いていますが、私自身の子育てを振り返えると、無意識のうちに上に書いたような言動をとっていた時期もありました。
大切な我が子を、少しでもいい環境においてあげたい、少しでも辛い・苦しいことから遠ざけてあげたい。
そういう親心から、関わり方が歪曲していたこともあったように思います。
だからこそ、自戒も込めて、子どもたちに宣言しておくことにします。
どんどん失敗でき、失敗が許され、失敗から学ぶ時間が十分に確保された環境をつくる
2.大切にされていると実感できるような関わりをする
2つ目は、
子ども自身が大事にされている・必要な存在として認められていると感じられる関わりをする
ということです。
大事にされている、必要な存在として認められていると感じることができれば、安心してチャレンジすることができます。
チャレンジし続ける気持ちは、失敗を乗り越えるための原動力になります。
失敗を繰り返し、小さな成功体験を積み重ねることができた子どもは、周りから「自信をもって」と言われなくても、自然と「私なら大丈夫だ」「私ならできる」と、自分を信じて前進し続けることができます。
これを世間では「自己肯定感」と呼ばれています。
幼児教育や学校教育の柱として、文科省が注力しているのも、このチカラだと思います。
考えてみれば、この自己肯定感は、本来こどもたちには生まれながらにして備わっているはずです。
文字通り、生まれたばかりの赤ちゃんは、両親から溺愛され周りの人から大切にされ、自己肯定感の塊のような存在です。
きっと、子どもたちは、周りから大事にされ、必要な存在として認められる環境があれば十分なんだと思います。
だから、子どもたちには今日も「大好きだよ」と伝えたいと思います。
あとがき
・・・と偉そうに書きましたが、子育てに関しては父親歴8年のまだまだ初心者です。
子育ては、毎日が怒涛のように過ぎていき、反省と失敗の連続だったりもしますが、その反省や失敗をいかせているのかもわかりません。
なので、子どもとの関わり方を「自信をもって」語れるような資格はないし、現在進行形で間違った方向に突っ走っている可能性もあります。
それを踏まえて、ある父親のひとりごと程度に読んでもらえたら幸いです。
心無い誹謗・中傷は勘弁してほしいですが、皆さんの体験談(失敗談・成功事例)・思考・ノウハウなどなど、大好物です。
コメント欄でも対面でも構いません。たくさん教えてください。
笑顔を咲かせる。豊かに生きる。
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